SSブログ

【PONOS 2/2】新しいカジュアルゲームの定義を哲学の町、京都で考えてみる[倉西] [PlayStation]

そんな個人的な考えを自分の中で咀嚼しながら、PONOSさんのお話をお聞きしました。京都に行ってよかったw 2時間に及ぶインタビューの中で、何度かくり返された、非常に印象に残ったお言葉が3つありました。

「この操作は気持ちいいんじゃないかなということを念頭においてゲーム性を考えていきます。操作感が気持ちのいいアプリと言っていただけると最高ですね」。

「プレイしてくださるみなさんが、思わず「あっ!」と声が出してしまうようなゲームが作りたいんですよ。『Mr.AahH!!』なんて、そのまんまなタイトルですけどね」。

「動詞ひとつでも、ゲームはできます。走るゲーム、跳ぶゲーム……ですが、コンシューマゲームの世界では、ここまでやらなければという敷居が高いですよね。ケータイやiPhoneの場合は、それがありません。しっかりとしたストーリーやキャラクターがなくても、ゲーム性にさえ自信があれば遠慮なくリリースできます」。いずれもPONOSさんのアプリに色濃く反映されている特徴を示すものですが、こういうお言葉を、過去、何度かコンシューマゲームのインタビューでもお聞きした記憶があります。ただ、それは残念ながらアクションゲームのインタビューの席上で、なおかつPlayStation初期までのインタビューに限られます。あくまでも個人的な、限定された記憶の中で、ですが。

安直な言い方ですが、もしも純粋にゲーム性を追求していきたいというクリエイターさんがいらっしゃったら、思い切ってiPhoneの世界に飛び込んでみられたらよいのではないかと思います。ここでは全世界規模で、何千、何万というクリエイターたちと、かなりなレベルまで自由にアイディアを競い合うことができます。その状況に素直に向かいあっているからこそ、PONOSさんは京都というクリエイターにとってはある意味、理想的な都市で、まるで15年ほど前の、日本のゲームの黄金時代を生きているかのようなことを考え、そして実践できているのではないでしょうか。

(誰にでも)はじめやすくて、終われないゲーム。

必要悪とされたコンシューマベースの発想ではなく、新たな視点でカジュアルゲームを定義していく。この論考(なぁんておおげさなものではありませんが)は、今回限りで終わるものではありません。(誰にでも)はじめやすくて、終われないゲーム。これは、現時点の僕の新しいカジュアルゲームの定義です。「誰にでも」に()がついているのは、そのタイトルが発見されなければプレイもされないという程度の意味です。ただ、カジュアルゲームにとっては、このポイントも小さなことではないと思います。「なに言ってんの?」と思われる方はぜひ、PONOSさんのアプリを遊んでみてください。きっとすぐできて、いつまでも遊んでますから。

※この文章は電撃ゲームス 2月19日発売号に掲載されたものです。
nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントの受付は締め切りました

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。